河井寛次郎 「蝶が飛ぶ、葉っぱが飛ぶ」
講談社文芸文庫
あの日からもう一年なのか、まだ一年なのか
よくわからない感覚です。
巨大余震の不安、原発、放射能。
連日テレビで流される震災特番。
なかなか気持ちを前にうまく動かせないようです。
家の本棚でふっと目にとまった『蝶が飛ぶ、葉っぱが飛ぶ』。
河井寛次郎先生の本です。
太平洋戦争末期、京都にいた河井先生は、
東京も大阪も神戸も、主要な都市は皆やられてしまって、
自分が毎日暮らしている京都も、
「明日には見られなくなるかもしれない」と
毎日近所の高台に上って
京都の街を見ていたそうです。
何とも言いようのない気持ちで眺めている時、
「なんだ、なんということだ。
これでいいのだ。
焼かれようが殺されようが、それでいいのだ」
「なんだ、なんだ、
これで調和しているのだ。
そうなのだ」
そういう思いに打たれたというのです。
それからは空襲警報が鳴っても
「不安の中で平安」という状態で過ごせたと。
そんな矛盾した気持ちの答えを、
虫に葉っぱを食われて丸坊主になった木を見て気づいた、という文が
この本のタイトルにもなっている
『蝶が飛ぶ、葉っぱが飛ぶ』という随筆です。
ああそうなのか!と納得できたわけではないです。
正直よくわかりません。
でも、ひとつの真理があるのだろう、と感じました。
理解ではなく、感じただけです。
河井先生が、ひとつの悟りを得た瞬間だったのでしょう。
この文章の結びは
「この世このまま大調和」
です。
左から、箸置きにもなる茶さじ、チーズにもいいフォーク、スプーンいろいろ
箸と箸置き 木目のようなデザインのお皿
小鹿田焼のコーヒーカップの横に添えられた
スプーンを見たとき。
すこし渋くくすんだ風合いと、
手にしたときの、ほどよい重さ。
その見ためと肌ざわりの、あたたかさでした。
右は新品の輝き、左は風合いのあるくすんだ輝き。新品の状態を保ちたい方は、
酢に漬けたり、金属みがきで磨いたりすれば、そのままの輝きに
真鍮もののつくり手である菊地流架(ルカ)さんは
「使っていくうちに色が変わっていくのが楽しい」と言います。
金メッキのようにはげることもなく
ステンレスのように硬質でもなく。
ほっとひと息つきたくなる、そんな風合い。
流架さんは、
スプーン、お皿、アクセサリーなど、
その素材に合うほどよい厚みを見つけ出し、切って、叩いて、
ダイヤモンドやすりでこすって仕上げます。
切って、叩いて、道具で細工をして、一つひとつ手作業で仕上げます
スプーンの面取りも手でなされるからでしょう。
口にふれる感じさえしないのは、不思議なくらい。
土もののお皿にスプーンがふれたときも、
カチカチ音がしないのも、とても気分がいいものです。
小さなスプーンは
「プリンやヨーグルト、子どものたまごごはん」にもいいそう。
4歳と2歳の子のパパである流架さんらしい
つかい方のアドバイスも聞けるのが、
3/16(金)〜22(木)の「木と金の二人展 伊藤玲 菊地流架」です。
仙台光原社での初めての展示会にあわせて
3/17(土)・18(日)には、流架さんが来られます。
スプーンやフォークをはじめ、真鍮スケール、アクセサリー、
燭台やハンガーなど、部屋のしゃれたインテリアになるものも登場しそうです。
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